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性教育の問題は「いつ教えるか」ではない

性教育の問題を語るとき「中学生にはまだ早い」とか「小学生から教えるべきだ」とか「いつ教えるか?」に焦点がいきがちだ。しかしそんなことは、あまり重要な問題ではないように思う。というのも少なくとも僕の周りで、小学生の頃にエロ本読んで何かが狂ったとか、性に関わることを学んでトラウマになったという話は聞いたことがないし、実際に性教育を行うことで中絶率が下がるという研究も出ているからだ。
 
 
僕自身、性の目覚めが本当に遅くて、小学6年生のときに女の人に穴が2つあることを知った口だ。どうすれば子どもが生まれるかについては、中学2年生のときに知った。今思うと本当にありえないことだが、僕にとっては保健の授業で教えられる「マスターベイション」は想像もつかない行為だったし、お年頃の馬鹿な男子どもによってネタにされるだけの単語でしかなかった。
 
でも実際に、AV=SEXの教科書と捉えている男性は20歳を超えても多いし、そもそも正しいSEX(そんなものはないのだろうけど)なるものを教わる場なんて皆無に等しい。間違ったオナニーの仕方をしていたために、射精障害を持つ男性も少なくないし、ロクな知識を持たないために、避妊しない人も呆れるほど多い。
 
 
性に関する知識の少なさや意識の低さから、さまざまな問題が生じているというのに、まだ「寝た子を起こすな」などと言う人は、大方性について教えようという気概もなく、「臭いものに蓋を」の精神で問題を先送りにしたいだけだろう。
 
だから、性教育における問題とは「いつ教えるか」ではなく、「どう教えるか」なのだ。まだ精通も初経も経験しておらず、感覚が伝わりづらい小学生には、どうすればわかってもらえるか。性に関する興味関心が高まり、ある意味センシティブな時期の中学生には、どうすれば正しい理解と意識を持ってもらえるか。性に関する出来事がもはや身近なものとなっている割合が多い高校生には、どうすればより良い性との付き合いを築いていけるか。といった具合に。
 
そもそも僕ら人間、いや、生物にとって、性は切っても切り離せないものだ。それをわざわざ隠すことで、性を神聖なものや恥しいもの、汚らわしいものなどに変えてしまっている人はかなり多い。性は性でしかない。当たり前のように僕らについて回るものなのだから、ちゃんと向き合って、自分自身や他人との関係において、より良い性が何かを探っていくことこそが大事だ。
 
※便宜上、性教育=男女の性交渉や避妊とし話を進めているが、LGBTなどの性的マイノリティやジェンダーに関わる問題も、もちろんここに含まれる。またこれは、学校だけでなく、家庭においてもしっかり教育されるべきことである。