ふむふむ

文法も構成も内容も気にせず、1時間で書くブログ

「社会不適合」ってなんだろう?

僕の周りには自称「社会不適合者」が多い。学校や会社に適さず、引きこもってしまう人や日本という環境に適さず、海外に行ってしまう人など、彼らは確かに不適合なところが多いかもしれない。僕自身も社会不適合者だと言われても仕方ないような人間だけど、だからといって悲観的になることもない(というか、もうその時期は終わった)し、不適合なりに自己分析して視野を広げてみれば、適合できる場は少なからず見つかった。
 
社会不適合者を自称する人はたぶん自分に合う人、もの、場にまだ出会えていないか、あるいは、その数が少ないだけな気がする。確かになんでも卒なくこなし、上手に世を渡っていく社会適合者と比べれば、僕らの置かれている状況はフェアではない。でも、そんなのは最初からわかりきったことだし、仮にそこに対する恨みや妬みを捨てきれないのであれば、自分が社会を変えるくらいがんばればいいだけのこと。
 
社会不適合者はいま目の前にある社会に適合しようとがんばる必要は一切ない。というか、向いていない社会に一生懸命適応しようとするから「社会不適合」なのであって、向いている社会に行けば、その苦しさはかなり解消されると思う。苦しさの原因は、単にいろんな選択肢があることを知らないだけか、自分のことをわかっていないかのどちらかだ。
 
もちろん既に社会的な人間として生きていくのがキツイ状況にある人(例えば、うつ病であらゆることに対して無気力な人や対人恐怖症で人と関わることが難しい人)もいる。その人たちに対して、全く同じことを言うつもりはないが、「社会不適合」を自称することで被害者面している人は多いように思う。それだったら、自分の置かれている状況をちゃんと把握して、今後どうしていくべきかを考えたほうがいい。もし、考える時間が必要なのであれば別に立ち止まってもいい。1年や2年周りから遅れたところで、大して生きづらくなるわけでもないのだから。