ふむふむ

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なぜ、「すごい教育者」のSNSには内容がないのか?

「教育者としてこの人はすごい!」と思える人ほど、SNSをやっていなかったり、やっていたとしても内容のない(のほほんとした、どうでもいいような)ことばかり書いていたりする。これは統計の類は一切取っていない完全なる主観だ。実際は違う可能性もあるかもしれない。が、これまで僕が出会ってきたすごい教育者(5人)には、総じてその傾向があった。

そもそも「すごい教育者」とは何か。その定義は多分、僕と他人の間でだいぶ乖離があるだろう。僕が考える「すごい教育者」とは、心の底から相手を尊敬できる人を指す。相手の存在を認め、受け入れることができる人といえば、わかりやすいかもしれない。だから、「進学実績が〜」とか「〜大学教育学研究科の教授」とか「子どもをハーバードに入れました」とかそんな数値や肩書、実績はほぼ関係ない。

この定義で考えていくと、彼らのSNSに内容がないことに合点がいく。彼らは「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と意地悪な小姑のような粗探しをしないのだ。相手のことを不用意に否定したり、評価したりしないし、恐らく細々と人の心理を読み解くような真似もしない。人間や社会を斜めから見て、ラベリングしていく意識がそもそも低いのだ。それゆえに、投稿する内容にのほほんとしたものや、どうでもいいことが多くなるのではないだろうか。

語弊が生じないように書いておくと、「粗探しが上手い人=教育に向いていない(SNSが面白い)」というわけではないし、その逆もまた然りだ。ただ、粗探しが上手い人は論理的に相手の考えを整理したり、問題の解決方法を示したりするのは得意な一方で、感情的に相手の内面を引き出したり、モチベーションを上げたりするのは苦手な嫌いがあるのではないか、とは思う。

要は使い分けなのかもしれないが、後者タイプの教育者を採用したいのならSNSは1つの試金石として、チェックしておくのも面白いかもしれない。もちろん、それが全てではないが。