ふむふむ

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「心の貧しさ」との向き合い方

先日、友人と話していて「心の貧しい人がたくさんいる」という話題になった。心の貧しい人とは、他人を受け入れる器が小さい人を指す。不愉快に感じたことを根拠も論理もなく攻撃したり、自分の非を認められず相手を勝手に悪者にしたりするような、自己中心的な人のことだ。

心の貧しさの原因は、多様性が認められにくい環境にあると思う。僕らは小さいころから同調圧力の中で育ってきた。周りと違った選択をすれば「お前はおかしい」と笑われ、常識に対して素朴な疑問をぶつければ「空気を壊すな」と怒られる。こんな環境では、違いを認め合う文化が生まれるわけがない。


さらに勉強ができなければ「自分はバカだから良い仕事には就けない」、勉強ができても「安定したいからリスクのあることはできない」と選択肢を狭めてしまうことも多い。自分のやりたいことを勝手に諦めて、勝手に押し殺してしまう悪しき慣習が日本には蔓延しているのだ。

だからこそ、自身が諦めた選択をほしいままにしている人が羨ましくて妬ましくなるのだ。「あいつはわがままで、傲慢な奴だ」といった理不尽な怒りをぶつけている人はよくいるが、あれは「自分はこんなに我慢しているのに!」というやり場のない本音が表れたものだろう。

そのため心を豊かなものにするためには、まず自分の非を認めなければいけない。これまでしてきた選択を、自分の責任にしていく必要がある。どんなに不遇な人生を送ってきたとしても、被害者面はもう止めなきゃいけない。

でもそれを丁寧に指摘しても、長年植え付けられてきた価値観はそう変わるものではない。そんな枝葉の問題を解決したところで、社会はそういう人を生み出し続ける。だからこそ僕らが本当に闘うべきは、そんな心の貧しさを生み出している社会なのだ。

いろんな価値観や生き方、文化があること知ってもらい、誰もが自分の好きな選択ができるような社会にしていくこと。彼らを皮肉ったり、馬鹿にしたりせず淡々と選択肢を提示して、応援していくこと。それこそが、僕らができる最大の解決策だと思う。