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『幸色のワンルーム』の放送をめぐる議論について

テレビ朝日が、7月放送開始予定の連続ドラマ『幸色のワンルーム』の放送中止を決定した。放送が決定したことを報じる記事に、多くの批判が寄せられたからだ。

同作品の原作は、はくり氏による漫画。2017年2月から無料漫画サイト「ガンガンpixiv」で連載され、累計閲覧数は2億回を突破し、コミックス1~4巻は累計75万部に及ぶ。


話の内容は引用にて紹介する。

14歳のある少女は、声をかけられた青年に「誘拐」された。少女と誘拐犯の青年は寄り添う生活で心を通わせ、徐々に絆を深める。生活に慣れると少女は「二人で逃げ切れたら結婚しよう、捕まったら一緒に死のう」と提案し、「結婚」を前提として「同居生活」を始める。

引用-Wikipedia

 

家庭での暴力や学校でのいじめにあい、生きる希望をなくした14歳の少女は、死の直前にマスクの男に救われます。行き場のなかった少女は、生まれて初めて好きだといってくれたマスクの男に、そしてマスクの男はこんな自分に感謝してくれる少女に、興味を持ち始めます。

少女は、両親につけられた名前を捨てて、「お兄さん」と呼ぶマスクの男につけてもらった「幸せになるように…幸(さち)」の名前に縋(すが)って、逃避行を始めます。それは、少女にとっては一縷の望みをかけた生活の始まりでした。極限状態の中、生と死のはざまで揺れながら、葛藤しながら、少女は束の間の幸せを探し求めていきます。

 引用-朝日放送テレビ

 

『幸色のワンルーム』は誘拐を本テーマとしていない

上記2つの引用は意味合いがかなり異なる。Wikipediaでは「誘拐されたが一緒に生活しているうちに絆を深め、恋に落ちていくような物語」に見えるが、朝日放送テレビでは「生きる希望を失った少女が青年に救われ、葛藤のなかでともに過ごしていく物語」に見える。

この2つの引用から見て取れることでもあるのだが、今回の議論ではそもそも物語の内容を理解していない人が多いなと感じた。おそらく、原作を読んでいない人が「誘拐」というキーワードに反応して、思い込みで意見をしている人も一定数はいるのではないか。

そこでまず押さえておきたいのが、『幸色のワンルーム』は誘拐を本テーマとした物語ではないということだ。ぼくは原作を全て読んだが、それぞれ問題を抱える少女と青年が共犯(誘拐を黙秘する少女・誘拐をする青年)関係を通じて、自己再生していく物語のように感じた。もちろん、原作自体がまだ終わっていないので、決まったわけではないが、少なくとも現時点では誘拐を肯定するような内容ではないのは確かだ。まぁ残念なことに、否定もしていないのだけど。

 

『幸色のワンルーム』の何が問題なのか

 『幸色のワンルーム』を巡る議論においての論点は大体以下のようなものだ。

 

・誘拐を助長するのではないか

・実際の事件をモチーフにしているのではないか

・誘拐事件が散見される今、被害者の気持ちを考えるべきではないか

 

これに関して以下のような反論が挙がっている。

 

・誘拐を助長するという根拠がない

・作者は実際の事件をモチーフにしていないと証言している(※ソース不明)

・フィクションである(これがダメなら、『万引き家族』や『Mother』などもダメになる)

 

議論は個人の価値観に左右されてしまう

 

上記の議論を見ていて、これはもう水掛け論にしかならないだろうと思った。というのは、どれも確固たる論拠がなく、個人個人の意見(価値観)によって左右されてしまうものばかりだからだ。


なので、個人個人にせめて考えてもらいたいのは以下のようなことだ。

 

・議論するなら原作を読む(思い込みで語るのは良くない)

表現の自由を抑圧をすることによって、生まれる反動にも想像力を働かせる(以下を参照)

・問題意識が自分にとっての不愉快さからくるものなのか、被害者への配慮からくるものなのかはしっかり考える(※)

 

※被害者でもなければ、被害者に聞いたわけでもない人が、被害者の声を「代弁」するのは微妙なところ。間違った想像力を働かせて、あらぬ方向から被害者を余計に苦しめてしまう可能性も大いにあるので、論拠を持った配慮なのか、自分の意見なのかはしっかり整理すべき。

 

以下、個人的に興味深いと思ったコメントを引用して、ぼくからの意見は終わりとさせていただく。