ふむふむ

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LGBTsを「気持ち悪い」と思うことは悪ではない

学生時代、仲の良い友人がゲイだった。彼から何度も告白されたが、生粋ストレートだった僕はその全てを払い除けてきた。その当時は「LGBT」なんて言葉はまだ誰も知らなかったし、性的マイノリティの存在もさして話題になっていなかった。むしろ、「ゲイ」はIKKOやおすぎ、ピーコのような「オカマ」を指すものだという認識も強く、友人同士で「あいつゲイじゃないか?笑」みたいにネタにして遊ぶようなものだった。

そんな風な認識しか持ち合わせていなかったから、僕は彼を避けるようになった。過度に話したがり、会いたがり、反応を求めたがる彼に対して、ある種の恐怖すら感じていたし、純粋に気持ち悪いと思っていた。

しかし元をたどれば、彼は僕の親友である。彼以上に気の合う人も、僕の内面を理解している人もほとんどいない。同じ組織に入っていたこともあるので、できることであれば普通に話したいとも思っていた。だから、「ゲイだから差別しよう」などという意識は一切なかった。

ただ、どうすればいいかわからなかった。自分に好意を寄せ、アプローチしてくる友人に対し、気持ち悪さを感じている以上、当時の僕には拒絶するほか選択肢がなかったのだ。結局3年以上もの歳月を掛けて、ようやく適切な距離の保ち方を理解した。

それから数年、僕は大学でジェンダーについて学んだり、いろんな人と会って話したりして、性的マイノリティに対する理解や知見を深めていった(もちろん、まだまだ誇れるようなものではないが)。世間では性的マイノリティに関する書籍や団体、イベントも増え、だいぶ認識は変わってきた。

しかしその一方で、彼らに気持ち悪さを感じてしまう人も一定数いると思う。頭ではわかっていても、実際に自分がその当事者になると話は別だ。特に過去に同性からわいせつ行為を受けたことがある人はその嫌いが強いはずだ。これはもう仕方のないことだ。

性的マイノリティにおける最大の問題は、圧倒的な知識・経験不足だ。「普通は異性を愛するものだ」という認識が根強い現状では、実際にどう対応すればいいかわからない人が大多数だろう。本人は相手を全く傷つけようとは思っていなくても、結果的に言動や態度が自然に差別的になってしまうことも大いにある。かつての僕のように。

だから、LGBTs差別の撲滅を訴える上で最も大切なことは、「LGBTsを気持ち悪いと思う心は邪悪だ。あらゆる性を別け隔てなく受け入れるべきだ」ではなく、「現状では受け入れられないこともあるかもしれない。でも、これから受け入れようとする努力はしていこう」という姿勢ではないかと思う。この姿勢がない限りは結局、どんなに情報を広まろうが、どんなに認識が高まろうが意味がない。なぜなら、「受け入れられない層(ある種の性的価値観)に対する差別」が生まれるからだ。性的マイノリティを守るための主張が他人の性的価値観を差別してしまうのだから、当然自分たちの性も受け入れられるわけがない。事実から目を背けて語る理想は単なる空想でしかないのだから、しっかりその事実とは向き合うべきなのだ。

世の中にはさまざまな性がある。その一つひとつに理解を示し、受け入れることなんてそう簡単にできることではない。だけど一つひとつの性があることを理解し、それらの存在を尊重することはできるのではないだろうか。かつて気持ち悪いと思っていた僕でも、ある程度はできるようになったのだから。